近くて遠い隣人・海外フィリピン人労働者(OFW)4
~OFWの故郷を訪ねて~

 


マリーンさんの生まれた町はミンダナオ島、ダバオ空港からバスに乗って1時間ほどのところにありました。
「この家は、名古屋にいたときの友達の家です、こっちは最初に福岡に一緒に行った友達の家。この家は…」
実家の近所に来ると、マリーンさんはあちこちの家を指さして説明してくれました。それによると、何やらこのあたりは数軒に1軒の割合でOFWの家族がいて、そのおもな行き先が日本だということになります。


これほど日本への出稼ぎが多いのは、この土地に日系人が多く住み、日本との強いパイプを持つエージェントがあったため。フィリピンには、ほかにも日系人が集まっている土地があり、90年代はどの土地にも日本へ出稼ぎ労働者を送り出すエージェントがあったといいます。(ビザの発給条件が厳しくなった現在は、こうしたエージェントは減っているようです)
そして、フィリピン人を日本に送り出した日系人の祖先は、第二次世界大戦前、当時、アジアのなかで豊かだったフィリピンに出稼ぎに来ていた人たち。時代の変化というのは、本当に不思議なものです。


実家に着く前、マリーンさんは何度も私に「せまくて天井も窓ガラスもない家だよ、ごめんね」とあやまりました。すでにフィリピンで暮らしている私は、多少の不便さは気にならないのですが、マリーンさんも家族も日本からのビジターがどういう反応をするかとても心配していたようです。
到着した家は、セメントを塗っただけの外壁にトタンの屋根をかぶせた素朴なつくり。フィリピンのなかでは、よく見かけるタイプの家です。
中に入ると、ベニヤ板で部屋が仕切られています。そこには、マリーンさんのおじいさんと両親、弟夫婦と子どもの計7人が暮らしていました。
床もセメントを固めただけのつくりですが、テレビのあるリビングにはクリーム色のタイルが貼られています。
「毎月、少しずつしかお金を送れないから、今月はドアをつける、来月はここにタイルを貼る、その次はソファを買う、とか決めて、少しずつきれいにしているの。だから今はきれいなところがあったり、きたないところがあったりするの」とマリーンさん。
フィリピンの家にしてはめずらしく、シャワールームとトイレは別になっていました。
「これは、日本人には使いやすくていいよ」というと、
「それは、お父さんがそのほうがいいと言ってたから」とマリーンさん。
お父さんというのは、マリーンさんの元の交際相手、息子の父親である日本人男性のことです。
「お父さんがそんなことを言ってたから、家を建てるお金を出して、ここに遊びに来てくれるのかと思っていたよ。でも2年間お金を送ってもらえなかったから、あきらめてドアも窓もない家をつくって、みんなで無理矢理ここに住んだ」
リビングの壁には、大きな額に入った金閣寺の写真がありました。一度だけフィリピンを訪ねた男性が持ってきたおみやげだといいます。日本を出る前、空港の販売店で買ったものでしょう。シンプルな家のなかではそれがやけに目立っていました。


「カズエさん、あれはクボっていう古いフィリピンのスタイルの家。私たちもここに来るまでは、ああいう家に住んでいたの。あっちは家族が日本で働いている人の家」
呼ばれて行ってみると、マリーンさんの家の裏には、対照的な2軒の家がありました。
ひとつは、木とココナツの葉でつくった小さな家、その奥には、日本の一軒家と同じようなきれいな家。


その違いを見たとき、私は自分の子どものころのことを思い出しました。
私の家は農家で、11歳まで住んでいた家は、明治のころに立てた古い農家の家でした。
茅葺きの屋根で雨盛りがひどく、大雨の日は家の中で傘を差したこともありました。トイレはいわゆる「ぼっとん便所」で、外にあったため、夜は怖くて一人ではトイレにいけませんでした。両親ともいつも茶色に焼けた野良着を着て畑を耕していました。
そんな生活ならではの楽しみもありましたが、周りの家が屋根も壁もきれいな色をしていて、お父さんが格好いいスーツを着て仕事に行って、お母さんがいつもきれいにお化粧しているのを見ると、自分の家が恥ずかしく、友達を家に連れてくるのも嫌でした。
その後、親の仕事も住まいも変わり、そうした劣等感はいつしか忘れていましたが、それを思い出し、女性たちが海外に行きたいと思った気持ちはわかる気がしました。


マリーンさんがいろいろと私の世話を焼いてくれている間、マリーンさんの息子はいとこたちと元気よく遊んでいました。マリーンさんが一人で日本に働きに行っている間、彼はマリーンさんのお母さんに育てられました。そのためでしょう、おばあちゃんのことを「ママ、ママ」とよんで甘え、夜も一緒に寝ていました。
「あの子、日本に帰りたくないんだって。日本にもたくさん友達いるのにね。たぶん、おばあちゃんがいるからだと思う」。
そう話したマリーンさんは少しさみしそうでした。
息子のためにもと、ひとりで日本で働いた日々。
その時間を、息子はどのように感じているのでしょうか。(その5へ続く)

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プロフィール

野口和恵

フリー編集者・ライター。児童書編集にたずさわるかたわら、国内外の子どもを取り巻く問題について取材。

著書に「日本とフィリピンを生きる子どもたちージャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)がある。


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