日本人の血は私の誇りー日比国際児の闘い



フィリピン・ケソン市にあるNGO、JFCネットワークのフィリピン事務所には、日本人と変わらない容貌を持った子どもたちがやってくる。彼らは、フィリピン人の母と日本人の父の間に生まれた日比国際児だ。1980年代から、日本とフィリピンの間を大勢の男女が仕事や観光のために行き来するようになったことから、多くの日比のカップル、日比国際児が誕生している。両親のもとで幸せに暮らしている日比国際児もいる一方で、父からの音信が途絶え、事実上、養育放棄された子も少なくない。東京とフィリピンに事務所を置くJFCネットワークは、こうした子どもたちの父親探し、法的支援を行っている。


日比国際児たちは、離れていった父親に対しても、強い愛着を持っている。家族とのつながりを重んじ、異文化に対して寛容なフィリピンでは、外国人の親を持つ子どもは、フィリピン国籍と同時に、もう一つの国籍を持って生きるのが自然なことだ。「フィリピンと日本、二つの国籍があってはじめて、自分が完成するような気がする」「母親の国フィリピンと同様に、父親の国日本の国籍がほしい」と日比国際児はいう。しかし、そんな思いに反し、日本はこれまで、ある法律に基づき、この子どもたちから日本国籍を奪ってきた。


その法律とは、両親が結婚しており、フィリピンで生まれた日比国際児に適用される国籍法12条だ。この法律では、フィリピンで生まれた、日本人の親を持つ子は、出生した時点ではフィリピン国籍と同時に、日本国籍を持っていることを認めている。ただし、これには厳しい制限があり、出生から3か月以内に、日本大使館ないし日本の市町村役場に親が届出をしなければ、子どもは日本国籍を失うとされているのだ。大使館が認める特別な事情がない限り、3か月を1日でも過ぎてしまうと、後から届出をしても、失った国籍は回復せず、また日本の戸籍にも記載されないという極めて厳格なものだ。


フィリピン人の母親が、こうした日本の法律にまで気を配り、内容を理解することは難しく、また、届出には日本語の書類も必要になるため、手続きは日本人の父親まかせにならざるを得ない。しかし、概してJFCネットワークに相談にくるような子どもたちの父親は、親としての自覚が乏しいのが現実だ。その父親によって届出がされなかったという理由から、多くの子どもが自分の意に反して日本国籍を失っているのだ。また、父親が子どものことをしっかりと考えていても、国籍法12条を知らなかったため、子どもが国籍を喪失したというケースも多発している。これについては、日本大使館の指導不足を問う声もある。


JFCネットワークが1993年以降受け入れてきたフィリピン生まれの婚内子は341人。そのうち、じつに7割の230人の子どもが、3か月以内に届出が出されていなかったため、国籍を失っている。この子どもたちが再び日本国籍を取得するには、20歳未満のうちに日本に一定期間以上居住し、届出をしなければならない。しかし、父親との関係が途切れた日比国際児にとっては、そもそも保証人を見つけて日本に入国すること自体が困難なのだ。日本に行けたとしても手続きは複雑で、国籍を取得するまでには約1年の時間を要する。その間の生活費をどう工面するかも問題だ。また、後にふれるが、日本側の理解不足によるトラブルも起きている。
 


ちなみに、結婚していない両親のもとに生まれた子どもは、日本の父親から認知を受けることさえできれば、日本大使館へ届出をするだけで、日本国籍を取得することができる。これは平成20年に改正された国籍法三条一項で認められているものだ。また、日比国際児が日本で生まれた場合は日本国籍を取得するが、フィリピン大使館に届出することで、同時にフィリピン国籍も取得することができる。これには届出の期限がない。
 


長年にわたって日比国際児の国籍取得を手伝ってきたJFCネットワークの顧問弁護士らは2009年、フィリピンで、国籍法12条によって国籍を失った日比国際児と母親たちに向けたオリエンテーションを開き、この法律の問題点を次のように整理して伝えた。


・もともと持っていた国籍を子どもの意思と関わりなく奪ってしまう点で、子どもの権利に反している。
・親が届出をしたか否か、外国で生まれた婚外子か婚内子か、日本で生まれたかフィリピンで生まれたか。これらのちがいによって、日本国籍を留保もしくは取得できたりできなかったりするのは、不平等である。
・前の2点において、権利の保障、法の下の平等を定めた日本国憲法にも反している。
説明を受け、自分たちには日本国籍を取り戻す権利があるはずだと強く感じた日比国際児24名は、2010年7月17日、日本政府は国籍法12条の瑕疵を認め、自分たちの日本国籍を認めるようにと、東京地方裁判所に提訴した。


10歳のユウコ・サトウもこの裁判の原告の一人だ。ユウコの父親は、ユウコが生後1か月のときに行方がわからなくなった。母は乳飲み子のユウコを抱えて、何が起こったのかわからないまま時が過ぎ、ユウコは日本国籍を失った。現在も父親は見つかっていない。


しかし、ユウコは自分の父親が日本人だと自覚するようになった小さいころから、日本に強い関心を持っている。箸の使い方を一人で何度も練習して、今ではいつも箸で食事をするようになった。学校にも箸を持っていって、それを使って弁当を食べているという。天真爛漫なユウコは自分に日本人の血が流れていることを決して隠しはしない。むしろ誇りに思っているのだ。


フィリピンの学校では、毎年10月にユナイテッドネイション・デーという行事がある。生徒の代表が世界各国の民族衣装を着て、パレードをしたり、ダンスを披露したりする催しなのだが、ユウコは毎年、教師から日本代表に指名されている。「私が日本人みたいだから選ばれたの」とユウコは自慢げにいう。娘に精一杯の愛情を注いでいる母親のグレイスさんは話す。「ユウコは日本で勉強して仕事につきたいと、幼稚園のころから言っているんですよ。私はもう年をとっていくだけだけど、あの子には未来があるから、娘が望んでいることは叶えてあげたい。あの子がもし日本国籍を取り戻すことができたら、日本で生活できるようにしてあげたいのですが……」。


ユウコと同じく10歳のアキコ・スズキの父は、日本とフィリピンを行ったり来たりする生活をしており、やはり3か月以内に届出がされていなかったために日本国籍を失った。だが、フィリピンの家で一緒に生活している間、父親はアキコと母親にとても優しかった。日本にいるときもこまめに電話や手紙をくれた。アキコが4歳になる前、父親から音信が途絶え、JFCネットワークに父親探しを依頼したところ、日本で亡くなっていたことがわかった。現在、アキコ母子は、スラムのなかで親戚と暮らしている。成績の優秀なアキコの夢は、将来、いい仕事についてお金を貯め、日本に行って父親のお墓まいりをすることだ。そのときのためにも日本国籍が欲しいという。


2010年12月、原告の意見陳述のために、原告の代表7人が日本にやってきた。渡航費用は寄付によって集められ、費用の都合上、日本に来ることができなかった原告の陳述は、ビデオに記録された。7人の代表のなかには、当時8歳だったユウコもいた。東京地方裁判所で幼いユウコは英語で次のように陳述した。


「私の父親は日本人、そして母親はフィリピン人です。私は日比国際児であることを誇りに思います。でも残念なことに、父親が行方不明になったため、私は日本国籍を失ってしまいました。私には心からのお願いがあります。私が日本人としてのアイデンティティを得るために助けてください。私の一番の夢は、日本の教師になることです。私はフィリピノ語や日本語を教えることで、ほかの日比国際児を助けたいです。もし私が日本国籍を取得できれば、将来成功することができると信じています」。


また、このとき、原告の一人で、すでに日本に滞在し、国籍再取得の届出をしていたアキラも意見陳述を行った。アキラが日本に来ることができたのは、兄が保証人になってくれたからだ。兄も同じ父親から生まれた日比国際児だが、兄が生まれた当時、両親は結婚していなかったため、兄は父親の認知を受け、大使館への届出によって日本国籍を取得していた。そして、日本に移って働き、生活の基盤ができたところで、アキラを呼び寄せたのだ。


アキラは短期の在留資格で入国しており、国籍申請をするには、在留資格を長期滞在可能なものに変更する必要があった。しかし、千葉の入国管理局に行くと、通常は日本人の子どもとして長期の在留資格が認められるはずが、出国準備期間の在留資格しか与えられなかった。そして、国籍再取得の届出に行った千葉法務局では、「日本に住所があるとは認められない」として、申請を却下された。アキラはその経緯について述べたあと、次のように訴えた。「私は父親の本当の子であり、兄の実の弟です。彼らと同じ日本国籍を取得する権利を与えてください」。


 そして、2012年3月23日。東京地方裁判所が下した判決は、原告のうち、日本に住んで、国籍再取得の届出をしていたアキラには、担当職員の対応に誤りがあったとして国籍を認めるものの、ほかの原告たちの申し立ては棄却するというものだった。


アキラ以外の原告の訴えを棄却した理由として裁判官は「国家との結合関係が乏しい者に対して国籍が付与されれば、国内法上の各種の権利、義務の行使や履行が滞り、実効性が確保できないことになる」と主張した。また裁判官は、国籍のあり方について次のように述べている。「国籍は、国家からさまざまな権利を保障されるとともに、国家にしたがう義務をともなう資格である。しかし国外にいる者は、日本に対して義務を果たすことはできず、実効性のない形骸的な国籍を持つ重国籍者になる可能性が高い。そうした重国籍者の増加を防ぐためにも、国籍法十二条による国籍喪失は、合理的なものだといえる」。


これに対し、原告側の近藤博徳弁護士はこう語る。
「東京地裁判決のいう、『実効性を欠く国籍』、『重国籍』に関して、実際にこれまでどのような不都合が生じているかは、立法的に証明がされていません。これにはいくらでも反論があります。ただ、私が一番落胆したのは、子どもの間に大きな差別的扱いをもたらしているという現実に、なぜ裁判官たちがこれほど無関心でいることができるのかということです。特に憲法裁判にとって重要なものの一つはバランス感覚だと私は思っていますが、国籍法十二条の制度に対する問題意識のかけらも見られない東京地裁判決は、率直に言って、常識的なバランス感覚を欠いた、情けないとしか言いようのない判決です」。


2012年5月、弁護団は再びフィリピンを訪れ、原告たちにごく簡単な言葉で、判決内容を説明した。自分たちと日本とのつながりを否定する判決に、子どもも母親も動揺や困惑を隠せなかった。父親から捨てられ、それでも父親から受け継いだ日本人の血に忠実に生きようとしている子どもたちには、とうてい飲みこめるものではない。


グローバル化が進んだ今、日本国籍を持っていても人生の大半を海外で過ごす人は多い。
日本で生まれたというだけで無自覚に日本国籍を得た者よりも、外国で生まれても日本を慕い、自らの意思で国籍を獲得しようとしている子どものほうが、将来、日本の社会に貢献する可能性だって十分にあるのではないか。日本人の血が流れている日比国際児とのつながりを否定する一方で、今、日本の介護は日本が権利を保障していない、フィリピン人に頼るようになっている。そんな日本の矛盾がフィリピンからはよく見える。それでも、ここにいる子どもたちは日本を祖国とよびたいのだ。


「当然、皆さんはこの判決に納得できないと思います。闘いはまだ終わっていません。一緒にがんばりましょう」。近藤弁護士は、原告たちを励まし、第二審に進むことを告げた。原告らは必要な書類にサインをし、2012年7月に第二審が提訴された。


今、ユウコとグレイスさんは、JFCネットワークで開いている教室に通い、日本語の勉強をしている。ユウコはひらがなを上手に書くことができる。グレイスさんは、教室に来ると必ず「おはようございます!」と日本語で元気よくあいさつをする。そんな彼女たちの人生を決めるのも、今後の判決しだいだ。


第二審の判決は2013年1月22日に下される。

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プロフィール

野口和恵

フリー編集者・ライター。児童書編集にたずさわるかたわら、国内外の子どもを取り巻く問題について取材。

著書に「日本とフィリピンを生きる子どもたちージャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)がある。


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