路上に届けた写真



そういうものだ、とわかってはいたけれど、海外ボランティアは「自分には何もできない」という痛感のくり返しだ。だけど、どんな小さなことでもいい。世界に70億という人がいるなかで私たちが出会えたことに、何か意味はあったのではないかと思いたい。


2011年12月の2週間、ビクトリアという少女がバハイ・トゥルヤンで生活した。年は12歳くらいだったが髪を刈り上げ、あちこちの木に登る彼女は、男の子にしか見えなかった。気も強くて、気に入らないことがあると、こぶしで叩こうとする。ちょっと大変な子だから気をつけなさいといわれた。


しかし、ビクトリアがそんな行動に出るのにはわけがあった。生まれつき耳が聞こえず、字の読み書きもできなかったのだ。彼女の母親もろう者で口をきくこともできず、そのために男性からひどい仕打ちを受けてきたようだ。バハイ・トゥルヤンでいちばん年上のテレサは、自分もろう者で、やさしい性格だったため、なにかとビクトリアを気にかけていた。しかし、ほかの子どもたちは、コミュニケーションをとるのが難しく言動が荒々しいビクトリアのことを、少し離れてみていた。


けれど、初めてのことだらけのバハイ・トゥルヤンの生活にビクトリアは目を輝かせていた。ほかの子といっしょにムカデ競争をしたり、ビジターからクリスマスプレゼントをもらったり。ルールのわからないボードゲームも、コマをポンポンと動かして、上機嫌だった。


その彼女が自分を撮った写真をくれ、と訴えたことがあった。ほかの子どもからもしょっちゅう写真をねだられていたため、私はほかの子といっしょに、次のワークショップのときにあげるからと制した。


でも、そのワークショップを待たずして、彼女はバハイ・トゥルヤンから去っていった。彼女のケースはバハイ・トゥルヤンではなく社会福祉開発省が担当しているもので、社会福祉開発省がビクトリア一家の住まいを用意したため、そこに移ることになったようだ。私はその事情を知らなかった。ちょうどソーシャルワーカーに連れられて出ていくビクトリアとすれちがったときに、ほかのスタッフから聞かされた。そしてそのスタッフは言った。「ビクトリアはなんてかわいそうなの。たぶん路上に戻ってしまうわよ」。
社会福祉開発省は、ビクトリアの就学まではサポートしてくれないらしい。
彼女に写真をあげられなかったことは後悔として残り、心に引っかかった。


だが半年後、通勤のためジプ二ーに乗っていた私は、ビクトリアの姿を見つけて、思わず身を乗り出した。彼女の家は、私のアパートとバハイ・トゥルヤンの中間地点の町にあるらしく、一日じゅう何もすることがないビクトリアは、町のなかをうろうろしていたのだ。


久しぶりに見たビクトリアはどこでどうしたのか、髪を金色に染め、ますます「ワルい少年」という感じになっていた。ほかのスタッフが、その町の市場でビクトリアを見かけ、大きく手をふったとき、彼女はびくっとして逃げたという。「きっと、万引きか何か悪さをしていたのよ」というのがそのスタッフの見方だ。小さい子をしたがえてボスみたいに歩いていることもあった。


けれど、たいがい私が目にするビクトリアは、教会の前でうつろな目をしてぽつんと座っている姿だった。


フィリピンを去る日が近づいて、私はどうしても彼女に写真を渡しておきたいと思った。ビクトリアとバハイ・トゥルヤンとの関係はもう終わっているのだし、外国人が余計なことをすべきでないかもしれない。けれど、写真を欲しいと強くねだった様子からすると、彼女のこれまでの人生のなかで、写真を撮られる機会などほとんどなかったかもしれないと思った。私のパソコンに保存しているビクトリアのポートレートは、愛らしい目でポーズを決めている。


休みの日、ビクトリアがよくいる教会の前でジプニーを下りた。町じゅうを歩いてさがすことも想定していたが、まさにその教会の前にビクトリアはポツンと座っていた。彼女はダンボールの切れ端にボールペンで熱心に何か絵を描いていた。


どんなふうに近づいていいのかわからず、後ろから少しの間、その様子をうかがった。バハイ・トゥルヤンに彼女が来たとき、まずは絵を描いて遊んだことを思い出した。子どもにとって時間の流れ方はゆっくりだ。路上で、それも音のない世界で過ごしている時間は、どれだけ退屈だろう。


少しすると、ビクトリアは側でジプニーの呼び込みをしていた男性に使っていたボールペンを渡した。その男性から借りたものらしい。毎日このあたりに立っている者どうし、顔なじみなのだろう。


ビクトリアはちらっと後ろにいる私に目をやったが、すぐに視線を体育座りしている自分の足元に移した。1年前のそれも2週間の短い間のつきあいだったから、私のことは覚えていないだろう。私は近づいて、バハイ・トゥルヤンのロゴが入った自分のTシャツを指さしてみせたが、横眼をちらりとやっただけだった。


写真を1枚差し出した。ビクトリアがひとりでポーズを決めているものだ。空虚な視線が写真の上に止まった。4枚ある写真を1枚ずつ渡した。3枚目のクリスマスプレゼントを持っている写真を渡したとき、ビクトリアは一瞬、目を細めた。写真を持ってきたことは、まちがいではなかったようだ。最後に写真の袋を差し出すと、路上生活の習性からか「これは、もう全部こっちのものだ」というような目をして、パっと取り、写真をしまった。


けれども、ビクトリアはすぐに柱のかげで、写真を取り出してしげしげと見ていた。もう一度、写真をしまって顔を上げたとき、私は持っていたカメラを見せて、「また写真を撮りたい?」というしぐさをして聞いてみた。彼女は無表情で目をそらした。静かに私を拒絶しているようにも見えた。


ビクトリアにとって、今の自分は写真に撮られたい自分ではないのかもしれない。私にはできることはもう何もないような気がして歩き出した。少し離れてから振り返って手を振ってみると、ビクトリアはやはり表情を変えず、でも手を振りかえしてくれた。


それから町のなかをふらふらと歩き、30分ほどしてから教会の前に戻った。彼女はもういなかった。代わりに彼女が絵を描いていた段ボールの切れ端があった。未完成のその絵は、コウモリのかたちをしていた。


それからもジプ二ーで教会の前を通るたび、ビクトリアの姿をさがしたが、その日以来、姿を見かけることは、しばらくなかった。日本に帰国する日が近づいてきた。もう彼女を見かけることはないのだろうか。写真を渡せただけラッキーだったじゃないか。そう思うことにした。


ところが、クリスマスの日。思いがけないかたちで、もう一度顔をあわせることがあった。その日は、ジプ二ーが混雑していて、私はめずらしく助手席に座った。例の教会の前に来ると、ビクトリアが一つ前に停車しているジプニーの運転手に手を伸ばし、お金をねだっているではないか。前のジープが行き、ビクトリアは私が乗っているジプニーの、ちょうど私が座っている助手席の窓から運転手に向かって手を伸ばした。


クリスマスで稼ぎが少しは入っているのか、今日の表情には子どもらしい生気がある。私は思わず身を乗り出して手を振り、「ビクトリア、元気?」と話しかけた。


ビクトリアは、私に気づいて、はにかんだ笑いを浮かべると、伸ばした手をひっこめた。そして私の発した言葉がわかったのか「だいじょうぶだよ」というように私の手をつついた。ほんの数秒のやりとりだった。


自己満足だとわかっている。
でも、そのときだけでも、彼女が私に物乞いをせず、ただ笑顔を向けてくれたことがうれしかった。彼女との接触はそれが最後になった。


それから2か月が経って、私はいま日本にいる。
彼女は、今日も教会のあたりをたむろしているのだろう。

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プロフィール

野口和恵

フリー編集者・ライター。児童書編集にたずさわるかたわら、国内外の子どもを取り巻く問題について取材。

著書に「日本とフィリピンを生きる子どもたちージャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)がある。


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