オレンジを差し出した少年―2014年5月福島にて―


5月17日、私は福島県相馬市にある原釜幼稚園を訪ねた。


2011年3月11日、幼稚園のある原釜地区は、津波によって大きな被害を受けた。家族で幼稚園を経営している高橋さん一家の息子、司さんは、以前、私の友人とともにメキシコでストリートチルドレンの支援をしてきた方だ。


その縁から、震災後、近隣の町にボランティアに行っていた私は、何度か司さんとは電話でやりとりをさせていただいた。だが、実際にお会いするのは今回が初めてだった。


シンとした休日の幼稚園の部屋のなかには、子どもたちの描いた絵や遊具が並んでいた。


津波によって司さんの実家は流されたが、高台にあった幼稚園は残った。少しでも早く、子どもたちに震災前のような生活を取り戻してほしいと考えた司さんは、ガソリンも入手困難なうちから、自転車で避難所を回って「タダでもいいから、来てほしい」と親たちを説得し、震災の一か月後に幼稚園を再開した。


子どもたちのなかにも自宅を流された子は少なくなかった。また原発事故の影響を心配して県外に避難した子、逆に、より原発に近い地域から相馬市内に避難してきた子がいた。園を再開してまもないころ、子どもたちは、「津波ごっこ」といって水をひっくり返し、「〇〇ベクレルだー」と言って遊んでいた。


震災前60人以上いた園児は、現在30人程度に減っている。おじいさんの代から続いてきた幼稚園の歴史のなかで最低の数だ。


漁師をしていた親が職替えを余儀なくされて、生活形態が変わり、子どもが保育園に移ったこと、幼稚園から海が近いのを嫌がって、転園していく子がいたことなどが背景にあるという。


さらに、放射能の懸念から250万円をかけて、園庭の砂の表面を入れ替えねばならなかった。半額は助成金が出たが、半額は幼稚園の負担だ。しかし、仮に国が全額負担をしたとしても、それでよかったという話ではない、と司さんはいう。そもそも原発事故さえなければ必要のなかった作業であり、その間、子どもたちは外で遊べたはずなのだから。


発育の著しい時期に外で遊べなかった子どもたちは、体の使い方が不器用で、ブランコをうまくこぐことさえできない。津波は免れたものの、大地震を受けた建物は、ダメージを負っているため、いずれ改修が必要になってくる。
傷ついた天井を見ながら、「これからです」と司さんはいった。


その日、福島に向かう予定だった私は、会議のため二本松市に向かう司さんと生後10か月になる娘さんの車に同乗させていただいた。


「娘には、自分が生まれた環境を嫌いにならないでほしいですね」という司さんの言葉からは、相馬を思う強い気持ちが感じられた。


これまでにも、幾度となく福島で、地元のことを愛おしそうに語る人たちに会ってきた。そして、そのたびに自分にはそう思えるものがあるだろうかと考えさせられる。


この日は、各地で運動会が催されていた。
車が福島市内に入ったのは、12時過ぎだったが、体育着姿で帰る小学生と保護者たちの姿をよく目にした。放射能の影響を考えて、外でお弁当を食べることはさせず、時間も短縮して、午前中で運動会を終わらせる学校が多いのだと聞いて、驚いた。
運動会といえば、ある意味、お弁当が一番の楽しみではないか。もともと福島県内では、運動会は地元の祭り的な要素も色濃く残っていたという。親たちも気合を入れてつくった弁当を広げるのを楽しみにしていたことだろう。


一年に一度の、ささやかな楽しみさえも原発事故は奪ってしまったのだ。


それから次の目的地まで送ってもらい、司さんと別れた。道中、私が何かと時間をとらせてしまい、司さんは会議に急いでいたのだが、さらにそこから先は「除染作業中」という立札によって、車の進路がふさがれ、迂回しなければならないというハプニングもあった。


福島市内を歩くと、にぎやかな街のなかに屋内プレイグランドや放射能測定所の看板を見かけた。これも原発事故の前にはなかった光景だろう。福島の地方紙を開くと、全国紙には載らない、多くの福島の厳しい現実が報じられていた。


「復興」が「もとの生活に戻ること」だとしたら、それは無理だと福島の人たちはいう。
原発でつくられた電気を享受してきた私もあらためてこの現実を重く受け止め、見続けていかねばと思う。


一方で、司さんのような青年の存在に、希望を求めずにはいられない。


震災直後の電話、司さんが「僕たちよりメキシコのストリートチルドレンのほうがよっぽど大変です」と話していたことを、よく覚えている。家を流され、原発事故が起き、混乱のまっただ中にいたはずなのに。


そのときのことを司さんにたずねると、ある少年のことを話してくれた。「震災のあと、日本のニュースを聞いた少年が『司が困っているんだろ、これをやってくれよ』って、たまたま一つだけ持っていたオレンジを差し出したっていうんです。その話を、スタッフから聞いて。そのときだって、ぼくのほうがずっといろんな物を持っていたのに。あ~、甘いこと言ってらんないなって」。


家がなく、お金もなく、頼れる家族もいないなかで育ってきた少年。そんな彼の自分を勘定に入れない行動こそが、司さんを後押ししてきたのかもしれない。

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プロフィール

野口和恵

フリー編集者・ライター。児童書編集にたずさわるかたわら、国内外の子どもを取り巻く問題について取材。

著書に「日本とフィリピンを生きる子どもたちージャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)がある。


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