震災から5年後の東北


5月の連休は東北に出かけた。


映画「遺言〜原発さえなければ」の宣伝ボランティアで知り合った須賀さんのお誘い。
東京で会社員をしている須賀さんは震災後、チームあすなろという復興支援チームのリーダーとして、学生や海外からの留学生も率いて、毎月欠かすことなく東北の応援に出かけている。


車を出していただいたおかげで、運転のできない私がなかなか行かれずにいた場所をたくさん回ることができた。


石巻市の慰霊碑の近くにはこいのぼりがあがっていた。


女川町。おかせいさんの女川丼はポスターのインパクトも手伝ってか一時間半待ち。


雄勝町エンドーすずり館に展示されている被災硯。工房にあった先代作の約100点の硯はすべて流された。たまたま別の場所に置いてあった硯だけが後日見つかった。


大川小学校。ここから海は見えない。崩れた校舎のあとがなければ、津波が来たとはにわかに信じがたい。


残った壁に、校歌の歌詞が書いてあった。


船がゆく 太平洋の
青い波 寄せてくる波
手をつなぎ 世界の友と
輪をつくれ 大川小学生
はげむわざ 鍛えるからだ
心に太陽 かがやかせ
われらこそ あたらしい
未来を ひらく


仮設店舗で営業している気仙沼市の南町紫市場。この地域のかさ上げ工事はこれから。せっかく再開した店舗も移転を迫られることになる。

 


南三陸町防災対策庁舎。付近は立ち入り禁止になっていた。国道の向かい側から合掌。


陸前高田市、奇跡の一本松。その奥はユースホステルとして使われていた建物。

 


震災のあとを遺構として残すことについては、地元のなかでさまざまな議論があると聞く。


けれども、東日本大震災から5年が経ったいま、東京オリンピックにわく都心部では、東北の被災地のことを思い出す機会は少なくなり、自分たちもいつか自然の脅威にさらされることを忘れがちだ。当事者以外の者にとっては震災遺構を通して、被災者の方の気持ちを推し量ること、これから来る災害に備えることができるのも事実だ。


目にするたびにやりきれない遺族の方もいるかもしれないと思うと、言葉もないのだけれど。


もっとも、震災のあとを伝えるのは、こうした遺構ばかりではない。
車で被災地を回ってみると、あちこちに寸断された鉄道があり、津波浸水区域という標識があり、傾いた道路標識があり、かさ上げ工事の様子が見える。


2日間に渡って何時間もの間、車で移動していたが、その間、途切れることなく震災のあとが目に入ってきた。ふだん私が動きまわっている関東首都圏よりもずっと大きな範囲だ。特定の地域だけでボランティアしていたときには実感しにくかったが、こうして回ってみると、津波に飲まれた範囲がどれだけ大きかったかを知ることができる。


記憶が風化していくのは自然であり、避けられないものだという人もいる。
けれども、少しでも忘れないようにつとめることはできる。経験から学ぶこともできる。
東北で地道に息の長いボランティアをしてきた友人や被災した方自身が、いま熊本で活動していることを私は知っている。

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プロフィール

野口和恵

フリー編集者・ライター。児童書編集にたずさわるかたわら、国内外の子どもを取り巻く問題について取材。

著書に「日本とフィリピンを生きる子どもたちージャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)がある。


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