震災から5年後の東北~その2


東北の旅では、宮城県気仙沼大島で2泊した。


お世話になったのは小山さんご夫妻がきりもりするいわさき荘


大島で養殖業と民宿を営んでいた小山さんご夫妻は、津波で宿を流された。
友人やお客さんたちから応援され、民宿を再開したのは昨年のことだ。


以前の「いわさき荘」の跡地。セメントで地固めされていた松の木だけが残った。


東日本大震災のときの津波によって、大島では31人が亡くなった。小山さんご夫妻は、車で逃げて小学校に避難した。
避難先では余震にびくびくしながら一枚の毛布に数人でしがみついて、過ごしていたという。外との連絡手段もなく、しばらくは小山さんたちも行方不明者として数えられていた。


対岸にある気仙沼市の石油コンビナートでは火災が発生し、大島にも火の手が回った。一時は島民全員が島から引き上げることも検討されたという。一週間は支援物資も届かず、学校のプールの水まで飲んでしのいだほどだった。


その年の5月、小山さんたちはがすぐに海底の掃除にとりかかった。養殖業を再開するには油を回収し、海をきれいにしなければならない。
「俺たちは海に賭けてるんだ」。
小山さんの力強い言葉が耳に残っている。


そんな小山さんがとってきてくださった海の幸たっぷりの食事。


わかめのしゃぶしゃぶ。ホタテ、ほや、ウニ、カニ、しらすの和え物などなど…。


リーズナブルな宿代では申し訳ないくらいのぜいたくな、まさに「海の幸」づくし!


小山さんの宿では、震災前、中学生の宿泊学習をたびたび受け入れていた。なかにはいわゆる、グレている子もいた。話をしていると、片親であるなど家庭の事情が複雑な子も少なくなかった。小さいときにお父さんが戦死していた小山さんは、そんな子たちの気持ちがよく理解できたのかもしれない。漁業体験や、大島の自然とのふれあいを通して、子どもたちは変わっていった。震災のあとは、リーダー格の子が中心となって寄付を集めてくれた。


大島の浜は、日本有数のきれいな浜辺として知られている。自殺を考えてこの島に来た人が、景色があまりにきれいなので思いとどまったこともあったという。



東北の被災地で建設が進められている防潮堤に対して大島では反対し、建設が中止されたところもある。この旅の間、防潮堤に反対する声は、ほかの浜でも聞いた。自分たちは海と一緒に暮らしてきた、海が見えないとかえって不安だ、という。


長い間、海が生活の一部であった人たちにとって、自然の脅威にコンクリートで対抗するという考えは、受け入れがたいもののようだ。


また、原発事故の影響によって、名産品であるホヤが売れずに痛手をこうむっているという。海はつながっている。原発はいらないというのが、漁師に共通する意見だろう。


かつて皇室にも献上されたという大島のホヤは、絶品だった。


最終日の朝食には、小山さんが夜明け前にとってきたホタテのお吸い物をいただいた。


「よそから来た人を大切にするのは大島の文化」。この島で生まれ育ってきたお年寄りはそう語る。


ぜひ、大島のおもてなしを、たくさんの人に味わってほしいと思う。

Leave a Reply

プロフィール

野口和恵

フリー編集者・ライター。児童書編集にたずさわるかたわら、国内外の子どもを取り巻く問題について取材。

著書に「日本とフィリピンを生きる子どもたちージャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)がある。


もっと詳しく見る

2019年2月
« 4月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728  
アーカイブ