予想をくつがえすことのない傑作
―『ローサは密告された』


大型スーパーに買い出しに行く。レジではおつりの小銭がない。しかたなく釣り銭をあきらめて帰る。たくさんの荷物を抱えてタクシーを拾うが、運転手は狭い路地に入るのを嫌がり、途中で降ろされてしまう。


そんな「フィリピンあるある」の当たり前の光景からこの映画は始まり、ごく普通の日常が進んでいく。登場人物の大きくて高い声の調子は、私の知るマニラの人たちにもよく似ていた。


主人公ローサの家はサリサリストアとよばれる雑貨店を営んでいる。そこにバイクに乗ってやってきた若い男性。「代金は5000ペソだ」と男性がいうところを、ローサは「今日は4000ペソだけ。残りは客がツケを払った後で渡すから」と返す。ミネラルウォーターでも売り買いしているかに見えたその光景は、麻薬の売買だった。


ローサの店ではその男性から買った麻薬を小分けにして、住民たちに数百ペソで売っている。住民たちは「アイスを売ってくれ」といって、ローサの店に買いに来る。まだあどけない表情の少年までも。ローサの夫は白い粉をたばこのケースに入れ、「あの家に子どもが生まれたんだって?」と世間話をしながら渡すのだ。

 
そんなローサの家に突然警官が踏み込んでくる。警官たちは麻薬だけでなく、店の売り上げと娘の携帯電話を押収して警察に連れていく。(現在のドゥテルテ政権下であれば、その場で撃ち殺される可能性もあるようだが、この映画はそれ以前につくられたものだ)。麻薬所持を否認するローサと夫。しかし、警官はあっさりと20万ぺソ(約40万円)を払えば明日釈放してやる、そうでなければ麻薬の売人を売れと取引を提案してきた…。


ローサのように日常的に麻薬を売り買いする人々をどう思うだろうか。まず「違法なことをしているのだから悪い」という思いを持つだろう。しかし、生まれたときから麻薬の売り買いが日常にあり、警察はスラムの住民たちを利用して自分たちの私服を肥やすことだけを考え、麻薬を根絶しようという意志はない。この日常では法律も「No Drug(麻薬根絶)」のスローガンも中流階級以上が望む綺麗事であり、「自分たちはこのやり方で生きていく」という思いを固めていくのではないかと想像する。


映画が進んでいくうちに、ローサの家族に対して同情を禁じ得なくなる。しかし、この映画を撮った監督は意外にも、麻薬の売人や中毒者を殺しても構わないというドゥテルテを評価している。現に監督の話では、ドゥテルテ政権になってからこの映画に描かれているような麻薬の密売は減っているという。確かにドゥテルテは今でもフィリピン国民に広く支持されている。支持される理由の一つは麻薬をふくめて「ダメなことはダメ」という絶対的な規範を持っているということだ。


思い返せばドゥテルテ政権が誕生した直後、多くの麻薬中毒者が出頭した。テレビのインタビューを受けたなかには「麻薬をやめたかったけれどやめられなかった。ドゥテルテ政権が誕生したおかげで、やめられる」と語る人もいた。断ち切れない麻薬の誘惑と警察とのいたちごっこ、人々はこうした日々の連続に疲れ、強引なやり方であってもその連鎖を断ち切ってくれるリーダーを求めたのかもしれない。しかし、その代償として亡くなった人は数千人にのぼる。


スラムと警察内部の映像が大半をしめる映画のなかで、一度だけローサの息子が洒落たカフェに出かけることがある。そこでつきつけられる格差と差別。こうして負った傷を忘れるために麻薬に手を伸ばす人もあったかもしれない。


予想をくつがえすことなく、ただリアルに淡々と流れる映像からさまざまなことを考えた。

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プロフィール

野口和恵

フリー編集者・ライター。児童書編集にたずさわるかたわら、国内外の子どもを取り巻く問題について取材。

著書に「日本とフィリピンを生きる子どもたちージャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)がある。


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