Archive for the ‘ダイアリー’ Category

彼女たちのその後


フィリピンから全国社会福祉協議会の研修のため来日していたバハイ・トゥルヤンのソーシャルワーカー、エナ・モンテスさんが約1年の研修を終えて帰っていった。


エナさんには私が共同代表をつとめる「ストリートチルドレンを考える会」のチャリティパーティでも現地の報告をしてもらい、バハイ・トゥルヤンの活動について知ってもらうことができた。日本語がほとんどわからなかったときも、持ち前の明るさ、やさしさですぐにみんなと打ち解けたエナさん。
実習先の施設でもエナさんの人柄に助けられた人はたくさんいたのではないかと思う。


昨年1年はフィリピンに行くことができなかったが、エナさんと定期的に会うことができ、
私もよく知っている子どもたちの現在の様子を聞くことができた。


カルメンは福祉系の大学の4年生になり、今年卒業予定だ。
カルメンと出会った6年前、彼女は15、16歳だった。けれども長い間学校に行けなかった彼女はそのときエレメンタリースクール(小学校)の5年生だった。物心ついたときには母親は亡くなっていて、父親と新しい家族との生活がうまくいかずにバハイ・トゥルヤンで生活をしていた。父親も6年前に亡くなり、死に目にあうこともかなわず、当時のソーシャルワーカーと抱き合い号泣をしていたのは忘れられない光景だ。


大半の子どもとスタッフが家族や親族のもとへ一時帰宅するクリスマス、私はカルメンが母方のおじの家に行くのに付き添った。クリスマス休暇に入ったソーシャルワーカーからは、「もしカルメンが泊まっていきたいといったら、そうさせてあげて」と言われていたが、日ごろからおとなしいカルメンは言葉少なかった。おばがつくったお菓子を食べて、いつもよりも静かなバハイ・トゥルヤンに私と一緒に帰った。ほんのわずかな間の訪問だったが、将来について「エンジニアかソーシャルワーカーになりたい」と彼女が言ったことは印象に残っている。


私が帰国したあと、ハイスクールの1年目で彼女は高校卒業資格が得られる試験をパスし、福祉系の大学に進んだ。大学1年生のときにバハイ・トゥルヤンのマニラオフィスで会っていたが、もう卒業間近とは早いものだ。


エナさんから話を聞いた数日後、ちょうどカルメンからフェイスブックでメッセージが届いた。現在はソーシャルワークの実習でマニラ首都圏の貧困コミュニティに入り、住民たちの仕事づくりに取り組んでいるという。もともと控えめな生活の彼女だが、その資金集めのためにさまざまな知人に手紙を書いてお願いに回っているという。5月に卒業したあとはいよいよソーシャルワーカーになるための国家試験を受ける予定だ。
彼女の成長ぶりはエナさんも頼もしく見ている。


一方でカルメンと同じ大学に進学し、カルメンのルームメイトでもあったエリザは妊娠し大学を休学したという。


エリザも賢く、熱い意思を持った子だった。
バハイ・トゥルヤンに来たばかりのころ、彼女はこういっていた。
「私には3つ夢があるの。ひとつはフライトアテンダントになること、二つめはお父さんの病気が治ること、三つ目はもう一度家族みんなで暮らすこと」。


また、大学に進学したばかりのころ彼女はフェイスブックにこんな書き込みをしていた。
「これから必死で勉強をがんばる。辛いときもあるかもしれないけれど、ここであきらめてしまったら、この先の人生はきっともっと辛い」


エリザの真面目さはエナさんも実感していたようだ。よくエリザの相談にのり奨学金のスポンサーをさがしていた。しかし、彼氏ができたエリザは、エナさんが日本に来てから妊娠していることがわかった。エリザ本人からエナさんに「ごめんなさい」とメッセージが送られてきたという。


ほかにも、若い母親になった女の子が何人もいる。
新しい命の誕生は喜びたい。
けれどもみんな母親になること以外にさまざまな夢を持っていた。


これについてエナさんは、「彼女たちは生まれ育った環境のために自己肯定感が低い。だから、自分を慕ってくれる彼氏ができるとうれしくて関係が深くなってしまうのだと思う」と話す。
日本での実習期間中にも同じようなことを感じることがあったそうだ。
エナさんのように親身になってくれるスタッフが回りにいても、子ども時代の欠損を埋めるのは難しいという現状を痛感した。


けれども、エナさんはこれからも母親となった彼女たちと関わっていきたいと考えている。
温かいスタッフたちに支えられた若い母親たちが愛情深く子どもを育てていくこと、そしていつか子どもたちが望み通りの人生を歩んでいけることをただ願う。

「子ども中心」の社会的養護とは?-②
映画「隣る人」から思う


隣る人」は児童養護施設「光の子どもの家」を8年間にわたり撮影したドキュメンタリー映画です。2012年の公開以降、各地で自主上映が続けられています。タイトルの「隣る人」は、この施設の理事長がつくった造語で、「いつも隣りにいつづける人」といった意味がこめられています。


「光の子どもの家」は、1985年に可能な限り通常の建物でふつうの暮らしを子どもたちに提供する、「子どものための子どもの」施設をめざしてつくられました。「〇〇家」と名前のついた民家5軒が設けられ、そこで子どもたちが保育士と生活しています。こうした形態は日本の児童養護施設としては、めずらしいといいます。


また、これも日本の施設のなかではあまり例がないそうですが、職員は交替制ではなく責任担当制というかたちをとっており、住み込みで担当の子どもと寝食をともにしています。「私のママだよ」と子どもたちが保育士をとりあったり、実母の面会に戸惑ったり、子どもたちの多感な表情をカメラは静かに映しています。


児童養護施設を記録した映像をテレビで見たことは何度かありますが、この映画のように子どもたちの顔を映したものは見た記憶がありません。プライバシー保護の観点から映さない、または撮影してもモザイクを入れたり音声を変えたりすることが、報道の場合は当たり前になっているのではないかと思います。私自身も取材をする立場として、その考えはよく理解できるものです。


それがなぜこの映画では子どもの素顔を出せたのか。意外にもそのきっかけとなったのは、そこで暮らす子どもたちの言葉だったといいます。以前、光の子どもの家ではニュース番組の取材を受けたとき、やはりプライバシーを守るために徹底的な規制をかけました。けれども自分の顔にぼかしの入った映像を見た子どもたちは、理事長に強く抗議をしたといいます。


「私たちは何かわるいことをしたの? 甲子園に出る高校球児たちはだれもボカシが入ったりしないのに」。
それが彼女たちの思いでした。


実際に子どもたちのなかには、カメラに映ること嫌がる子もいるでしょう。さまざまな事情もありますし、一定の配慮は必要だと思います。
けれども「社会から隠されることなく一人の人間として堂々と生きていきたい」という思いも、また子どもたちのなかにあることを、このエピソードは教えてくれるようです。


光の子どもの家は、行事を通して地域の人々と交流し、育児相談にのったり、家出少年の駆け込み寺にもなったりと、地域社会のなかでなくてはならない存在になっています。
しかし、立ち上げる前は、住民から「児童養護施設ができると、地域の学校の教育環境が破壊される」といわれ、反対運動が起こりました。「札付きのワルが来る」という噂も流れ、地域の理解を得るために大変な苦労をされたそうです。


社会のなかでなくてはならない場所なのに、近くにあるのはなんだか面倒だと思われ、誤解され、排除されてしまう。これはなぜでしょうか。


児童養護施設や里親など、家庭で暮らせない子どもを支える制度を「社会的養護」とよびます。社会で子どもを支えていこうという意味がこめられています。


「けれども実際にはまだまだ社会的に知られていないし、児童養護施設というと『暗い』、『かわいそう』というイメージが強いんです」と話すのは、中学生時代に児童養護施設での生活を経験した筒井保治さんです。


現在、筒井さんはお仕事のかたわらIFCAという団体に関わり、社会的養護を明るいものにするために活動されています。アメリカの青年たちとも交流をし、日米の社会的養護が良いものになるように、尽力しています。


5月13日に、筒井さんをゲストにお招きして、「『子ども中心』の社会的養護とは?」をテーマにお話しを聞くイベントを予定しています。ぜひ多くの方にお越しいただければと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Talking-Gig「子ども中心」の社会的養護とは?


ゲスト 筒井保治さん
さまざまな事情から家庭で生活することのできない子どもたちを、支えるしくみが児童養護施設や里親といった社会的養護です。けれども、日本の社会的養護にはさまざまな課題があるといわれています。社会全体で子どもを支えるため、大人一人ひとりにどんなことができるでしょうか? 自分自身も児童養護施設での生活を経験し、当事者の子どもの権利保障、生活向上のために活動を続ける筒井保治さんにお話を聞きます。


2017年5月13日(土) 18:00 – 21:00
バリアフリー社会人サークルColors
(東京都大田区東京都大田区東矢口3-3-1 Transit yard 1階)
参加費…フリードリンクお菓子アルコールあり1500円


参加を希望される方は、よろしければ下記のフェイスブックページから参加ボタンを押してください。
https://www.facebook.com/events/1919365674959350/

「子ども中心」の社会的養護とは?-①
「ルポ 児童相談所」を読んで


2015年に日本国内で把握された虐待件数は10万件以上。年間5万6000件あまりだった2010年から5年間で2倍近くも増えたことになります。


厚労省は「虐待そのものが増えていることに加え、社会的意識の高まりで、警察からを含めた通告や相談が増えた結果」と分析しています。後者のとおり、これまで見過ごされていた虐待がキャッチされるようになったのであれば、一歩前進といえるかもしれません。


けれども、この10万人の子たちが、その後どのように過ごしているかは、あまり顧みられることはないのではないでしょうか。


児童相談所は通報を受けたあと、子どもや保護者に会い、重篤なケースは児童相談所内の一時保護所で保護されます。そこで、一定の期間をへて、家庭の状況に改善がみられる場合は家庭に帰りますが、家庭で適切な養育を受けるのが難しいと判断された場合は、児童養護施設や里親のもとへ移ることになります。


虐待を受けるなど、危険な状態にあった子が児童相談所に保護されたと聞くと、周囲はほっとするかもしれません。私にも心あたりがあります。けれども、当の子どもたちはどう思っているのでしょうか。


「ルポ 児童相談所―一時保護所から考える子ども支援」(ちくま書房)
は、社会企業家の慎泰俊さんが10か所の一時保護所を訪問、2か所の一時保護所に住み込み、子ども、親、職員100人以上にインタビューをとったルポです。


それによると一時保護所に入って「安心できた」という子どももいる一方で、「あそこは地獄」と語った子もいるといいます。


一時保護所にいる間は、学校へ通うことも自由な外出もできず、外とのかかわりが一切持てなくなります。これは、虐待の加害者だった親が子どもを取り戻しにくるのを防ぐためです。けれども、子どもたちは親しい友人にも何もいうことができないまま一時保護所へ連れてこられ、この先、自分はどうなるのか、いつまで一時保護所にいなければいけないのかもわからない、精神的苦痛を抱えているのです。さらに、子どもの数が多い保護所では、職員が細やかな対応や意思の疎通が難しく、それがますます子どもの不信感を募らせることになっています。


こうしたことを書くと、「児童相談所は何をしているのか?」という批判が出ると思います。けれども著者は、「いちばんの問題は、地域コミュニティの力が弱り、子どもを支えることができなくなった結果、児童相談所が子どもに関する問題をすべて抱えなければならない状態になっていること」と指摘しています。


本書に出てくる児童相談所の所長の言葉は重く受け止めなければと思います。
「虐待に関して、多くの人が正義感に燃えて勇ましいことを言うが、自分の現在の仕事や地域に問題が発生すると、後ずさりして『児相にお任せ』ということが多い。結果として、現場の仕事は日に日に増えていき、職員が疲弊しており、それが子どもの虐待死を防げなかったり、そこまでいかないとしても、子ども支援が十分にできないことにつながっている」


著者は解決策として一時保護の必要な子どもを、一時保護所のかわりに地域の里親家庭や児童養護施設などで預かる一時保護委託の拡大をあげています。
また、学校や民間団体、地域のボランティアなどが協力して、子どもや地域から孤立しがちな保護者を見守るネットワークづくりも提案しています。こうした取り組みは大阪や平塚などで、すでに実践されているそうです。


それぞれが自分たちの生活を送りながら、地域の子どもを見守りつづけるのは、誰にでも容易にできることではありません。けれども子どもの問題を行政任せにするのではなく、自分たちも担い手になり得るのだという意識を持つことがまず大切ではないかと、私は思いました。


このテーマに関連して、来月下記のようなイベントを予定しています。
お時間のある方はぜひ!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Talking-Gig「子ども中心」の社会的養護とは?


ゲスト 筒井保治さん
さまざまな事情から家庭で生活することのできない子どもたちを、支えるしくみが児童養護施設や里親といった社会的養護です。けれども、日本の社会的養護にはさまざまな課題があるといわれています。社会全体で子どもを支えるため、大人一人ひとりにどんなことができるでしょうか? 自分自身も児童養護施設での生活を経験し、当事者の子どもの権利保障、生活向上のために活動を続ける筒井保治さんにお話を聞きます。


2017年5月13日(土) 18:00 – 21:00
バリアフリー社会人サークルColors
(東京都大田区東京都大田区東矢口3-3-1 Transit yard 1階)
参加費…フリードリンクお菓子アルコールあり1500円


参加を希望される方は、よろしければ下記のフェイスブックページから参加ボタンを押してください。
https://www.facebook.com/events/1919365674959350/

映画紹介「まなぶ―通信制中学60年の空白を超えて」



「月明りの下で―ある定時制高校の記憶」の監督である太田直子さんの新作が完成した。


太田さんと出会ったのは7年前。在日フィリピン人女性を支援する太田さんの活動を知り、
自宅の隣駅にある団体の活動拠点をたずねた。話していくうちに、テレビで見て、強く記憶に残っていた定時制高校のドキュメンタリーを撮った方でもあると知って驚いた。その後も、太田さんとはいろんな場面で活動範囲が重なるところがあり、そのエネルギッシュな活躍をいつも頼もしく見ている。


さて、新作。「まなぶ―通信制中学60年の空白を超えて」


この映画の舞台である通信制中学は戦後の混乱期に義務教育を受けることができなかった人の学びなおしの場として、昭和23年に全国の中学や高校のなかに設置された学校だ。時代の移り変わりとともに数はへり、今は大阪府天王寺市立天王寺中学校と今回の映画に登場する、神田一橋中学校のみになっている。このうち、全教科を履修でき卒業証書を出しているのは神田一橋中学校ただ一つだ。


現在学んでいるのは、70代に入り人生の終盤を迎えた人々。少年少女時代に奉公に出されるなどして、教育の機会を失ってしまったのだ。
どの人も学校を離れてから60年間、それぞれ必死で生きてきた。ひたすら働き、家庭を築き、子どもを育て上げてきた。長い人生経験を重ねた人たちが、今どんな気持ちで中学校の勉強に取り組むのか。はじめは想像がつかなかった。


教育の機会に恵まれなくても、戦後の混乱期をくぐりぬけてきた70代の生徒は、生きる知恵や力を十分に持っているにちがいない。それなのになぜ人生の終盤に差しかかった今、わざわざ中学に通い、娘や息子のような先生から学ぶのだろうか。そんな疑問を持った。


けれども映し出される生徒たちの表情は驚きと喜び、生気に満ちている。見ているこちらまでわくわくして「学ぶってとってもおもしろいことかもしれない」と理屈抜きに思えてくるのだ。言葉を知ることで広がる世界。人生のなかで体験したこと、知りえたことと、教科書の記述がつながったときの興奮。


同時に自分の子ども時代をはたとふりかえり、こんな表情で授業を受けていたのは、いつまでだっただろうかと思う。学年が上がるにつれて学ぶことは評価のためであり、世渡りのツールとして、とらえるようになっていた。高校のころになると、勉強は「周りに置いて行かれないように、しなければならないもの」であった。


けれども、老齢の生徒は学びたいという一心であり、教師たちはそんな生徒に敬意を持ち、ときに生徒の経験から教わりながら授業をしているのが伝わってきた。


ある生徒は無邪気な子どものような笑みを浮かべていう。
「学ぶことは楽しいですよ。知らないことだらけですもん。知らないことだらけってことに今まで気づかずにきたんですよ。70すぎまで。」


「学びたい」という欲求はもともと人間の本能なのではないか。そのことをこの映画から発見した。


卒業式の日、男性の生徒が何度も何度も書き直した答辞を読みあげる。学校に通わせてもらえなかった子ども時代から、通信制中学に出会い、卒業するまでのこと。武骨だが、男性の体の芯から出るまっすぐな言葉が胸を打つ。


新宿K’s cinemaにて3/25日から公開予定

金子みすゞとJULA出版局と私

写真提供・金子みすゞ著作保存会


高校生のときに、ある読書感想文コンクールに応募したことがある。入賞を逃して悔しさ半分で、優秀作品が掲載された文集を開いたのだが、そのうちのひとつに強く心を動かされた。それは、金子みすゞの詩について書かれた感想文だった。


「つもった雪」


上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。


下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。


中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。


金子みすゞ童謡集『わたしと小鳥とすずと』(JULA出版局)より


この詩を取り上げた子は、「つもった雪」を子どもの集団としてとらえ、次のように、感想をつづっていた。
上の雪は、いわゆる優等生。成績がよかったり、リーダー的な存在であったりする子ども。教師からの過度な期待をかけられたり、他の子どもからねたまれたり、孤独な悩みをもつ子も多い。
下の雪は、勉強も運動も苦手な、いわゆる落ちこぼれ層の子。自分は何をやってもダメという無力感を抱きやすい。


そして中の雪は、特別に成績がよいわけでもなく、落ちこぼれでもない普通の子。過度なプレッシャーにさらされることもなく、学校生活のなかでつまずくこともない。けれど、その分、大人たちから目をかけてもらえることは少ない。上の雪や、下の雪の苦しみについて想像するのは、さほど難しくないかもしれないけれど、中の雪にまで思いを寄せることはなかなかできない。それをこれだけ短い言葉で表してしまうのが、金子みすゞなのだ。

 
このときに初めて金子みすゞの詩にふれた私は、それから夢中になって、全ての作品を読んだ。みすゞの故郷の仙崎にも訪ねていくほど、熱狂的なみすゞファンとなった。今では国語の教科書にも作品が掲載され、「みんな ちがって みんないい」というフレーズが、とりわけ有名になった。けれど、ほかのどの作品も、やさしさと新鮮な驚きに満ちている。
 若くして不幸な最後を遂げ、世間から忘れられていたこの童謡詩人の作品に光を当て、この世に送り出したのが、ほかでもないJULA出版局の大村祐子さんだった。その数年後、ずっと知りたかったストリートチルドレンについて書かれている本を見つけ、それがJULA出版局から出版されたものであること、「ストリートチルドレンを考える会」の窓口となってくださっていることを知ったときは、驚いた。


けれど、ジャンルのちがいはあれども、小さなもの、声を聞き取られることのないものの立場に身を置いたみすゞの詩と、あらゆる権利を否定されてきたストリートチルドレンのルポは、根底で一貫した太い水脈につながっていたのだと思う。
その思いをあらためて感じたのは、JULA出版局の皆さんと、昨年、安保法案への抗議活動でご一緒させていただいたときだった。連日の抗議活動に、私たちが行かれないときも、JULAのみなさんは足しげく通っていらした。


「ストリートチルドレンを考える会」では、去る4/9日にJULA出版局社長の大村祐子さんをお招きし、JULA出版局の本づくりにかける思いを話していただいた。
絵本は戦争のない世の中をつくるために生まれたこと、子どもが幸せに生きるためのものだ、という大村祐子さんのお話をお聞きし、JULA出版局の仕事が平和への願いそのものであることを感じた。


私自身も出版社の下請けとして、児童書の制作にかかわってきているが、利益を見込めるものや、教師や親の好みを優先した本が多くなっているのが現状である。子どもが経済活動の一部として見られている感も否めない。
そのなかで、信念をもって、本作りをすすめてきたJULA出版局の仕事には、会のメンバーとしても、ライターとしても、もっともっと学ぶところがあると感じている。
JULA出版局の皆さん、ぜひ、これからも末永いおつきあいをお願いいたします。

「ストリートチルドレンを考える会通信 Vuela! No.256」より転載

イベント紹介 私たちは『買われた』展


あくまで自分のできる範囲でだが、これまでストリートチルドレンや居場所のない日本の子どもの支援の現場に通ってきた。右も左もわからなかった学生時代から見れば、年を重ねるにつれて、多少なりともできることは増えてきた。逆境のなかでも、必死に生きて成長していく子どもの姿に立ち会うと、活動の意義を確認することができる。けれども、ぐるりと回って外を向くと、依然としててっぺんの見えない壁があるのを感じる。


社会からはじき出された子どもたちに対して、外からはこんな声を聞く。
「何をしでかすかわからない子たちでしょう」「周りのせいにばかりするけど、自分たちが悪い、自業自得」。
こうした発言をするのは、とくに冷酷な人間ではなく、むしろ普通の人が多いと思う。ただ、子どもたちと出会うことがなかったために、表層的な部分を見て自分の物差しではかるのだと思う。伝えること、知らせることの重要性を支援者の立場からも痛感する。


子どもに限らず、野宿者など何かしらの困難を抱えた人の支援にかかわってきた人は、だれしも同じような思いを抱くことがあるだろう。支援する相手への思いが深ければ深いほど、世間の認識とのズレは苦しいものになる。


居場所のない少女たちの支援をし、ともに活動しているColaboの仁藤夢乃さんは、自らも渋谷をさまよう女子高生だった経験から、高校や大学でJKビジネスの被害にあう少女たちについて知ってもらおうと授業をしてきた。家族が崩壊し、頼れる人もなく、居場所もなく、お腹をすかせて街を歩く少女たち。それが仁藤さんが会ってきた少女たちだ。少女たちは優しい声をかけてくれた男性がすすめるアルバイトをはじめ、気づいたときには商売の道具にされている。


ある大学の授業で、仁藤さんが「売春をする中高生についてどう思うか?」とたずねたとき、次のような答えが返ってきたという。「その場限りの考え」「遊ぶお金がほしいから」「自分も街で買春をもちかけられたことがあるけど、断った。だから、やる人はやりたくてやっているんだと思う」「そんな友達はいなかったから、わからない」「正直、そんな人と関わりたくない」「どうしてそこまでやれるのか、理解できない」。
そのとき、スピーカーの一人としてその場に来ていた当事者の少女は、「そんなもんだよ、世の中の理解なんて。もう、そんなことでは傷つけなくなった」と仁藤さんに言ったあと、自分の体験を語りはじめたという。すると、多くの学生が自分の持つ極端なイメージや偏見に気づいてくれた。


この経験から、仁藤さんとColaboに集まる少女たちのグループ「Tsubomi」は、少女たちによる企画展を計画した。それが「私たちは『買われた』展」だ。
目的は中高生世代を中心とする当事者たちが声を上げることで、児童買春の現実を伝えること。これまで表に出ることができなかった少女たちの声を伝えることで世の中の持つ「売春」のイメージを変えること、すべての女性に勇気を与えることだ。企画展の名前も少女たちが考えた。それぞれの現実や日常を表す写真、「大人に伝えたいこと」をテーマにしたメッセージ、参加メンバーのアート作品や日記などが公開される予定だ。
 前例のない勇気のある取り組みについて、少女たちは強い決意を口にしている。


「行くところがないとき、声をかけてくるのは男の人だけ。体目的の男の人しか自分に関心をもたなかったし、頼れるのはその人たちだけだった。他にご飯を食べさせてくれる人も、泊めてくれる人もいなかった。同じ想いをする子を減らしたい」(17歳)


「“普通はしないことだから、する奴は異常”みたいなイメージがあって、違うのになって思う。それぞれに理由があって、単にさみしいとか、遊ぶ金がほしいとか、
そういう簡単な理由じゃないことを知ってもらいたい」(16歳)


「親も頼れる大人もいない、ひとりで生きていくしかないと思ってた。最近一人暮らしを始めるまで、家っていう感覚がなかった。今でも、そういう小中学生はたくさんいると思うし、そういう子たちが体を差し出す代わりにおにぎりをもらったりしていることを、Colaboに来る年下の子たちをみて思う。だから私もこの企画に参加して、伝えたい」(20歳)


そのほかの少女たちのメッセージは、下記のイベントページから見ることができる。

https://www.facebook.com/events/569716099875649/permalink/628237390690186/


「私たちは『買われた』」展は、2016年8月11日~21日 神楽坂セッションハウス2Fで開催される。この現実をたくさんの人に知ってほしいと思う。展示品を通して、赤裸々な少女たちの声を聞いてほしいと思う、必死に生きている姿を見てほしいと思う。

震災から5年後の東北~その2


東北の旅では、宮城県気仙沼大島で2泊した。


お世話になったのは小山さんご夫妻がきりもりするいわさき荘


大島で養殖業と民宿を営んでいた小山さんご夫妻は、津波で宿を流された。
友人やお客さんたちから応援され、民宿を再開したのは昨年のことだ。


以前の「いわさき荘」の跡地。セメントで地固めされていた松の木だけが残った。


東日本大震災のときの津波によって、大島では31人が亡くなった。小山さんご夫妻は、車で逃げて小学校に避難した。
避難先では余震にびくびくしながら一枚の毛布に数人でしがみついて、過ごしていたという。外との連絡手段もなく、しばらくは小山さんたちも行方不明者として数えられていた。


対岸にある気仙沼市の石油コンビナートでは火災が発生し、大島にも火の手が回った。一時は島民全員が島から引き上げることも検討されたという。一週間は支援物資も届かず、学校のプールの水まで飲んでしのいだほどだった。


その年の5月、小山さんたちはがすぐに海底の掃除にとりかかった。養殖業を再開するには油を回収し、海をきれいにしなければならない。
「俺たちは海に賭けてるんだ」。
小山さんの力強い言葉が耳に残っている。


そんな小山さんがとってきてくださった海の幸たっぷりの食事。


わかめのしゃぶしゃぶ。ホタテ、ほや、ウニ、カニ、しらすの和え物などなど…。


リーズナブルな宿代では申し訳ないくらいのぜいたくな、まさに「海の幸」づくし!


小山さんの宿では、震災前、中学生の宿泊学習をたびたび受け入れていた。なかにはいわゆる、グレている子もいた。話をしていると、片親であるなど家庭の事情が複雑な子も少なくなかった。小さいときにお父さんが戦死していた小山さんは、そんな子たちの気持ちがよく理解できたのかもしれない。漁業体験や、大島の自然とのふれあいを通して、子どもたちは変わっていった。震災のあとは、リーダー格の子が中心となって寄付を集めてくれた。


大島の浜は、日本有数のきれいな浜辺として知られている。自殺を考えてこの島に来た人が、景色があまりにきれいなので思いとどまったこともあったという。



東北の被災地で建設が進められている防潮堤に対して大島では反対し、建設が中止されたところもある。この旅の間、防潮堤に反対する声は、ほかの浜でも聞いた。自分たちは海と一緒に暮らしてきた、海が見えないとかえって不安だ、という。


長い間、海が生活の一部であった人たちにとって、自然の脅威にコンクリートで対抗するという考えは、受け入れがたいもののようだ。


また、原発事故の影響によって、名産品であるホヤが売れずに痛手をこうむっているという。海はつながっている。原発はいらないというのが、漁師に共通する意見だろう。


かつて皇室にも献上されたという大島のホヤは、絶品だった。


最終日の朝食には、小山さんが夜明け前にとってきたホタテのお吸い物をいただいた。


「よそから来た人を大切にするのは大島の文化」。この島で生まれ育ってきたお年寄りはそう語る。


ぜひ、大島のおもてなしを、たくさんの人に味わってほしいと思う。

震災から5年後の東北


5月の連休は東北に出かけた。


映画「遺言〜原発さえなければ」の宣伝ボランティアで知り合った須賀さんのお誘い。
東京で会社員をしている須賀さんは震災後、チームあすなろという復興支援チームのリーダーとして、学生や海外からの留学生も率いて、毎月欠かすことなく東北の応援に出かけている。


車を出していただいたおかげで、運転のできない私がなかなか行かれずにいた場所をたくさん回ることができた。


石巻市の慰霊碑の近くにはこいのぼりがあがっていた。


女川町。おかせいさんの女川丼はポスターのインパクトも手伝ってか一時間半待ち。


雄勝町エンドーすずり館に展示されている被災硯。工房にあった先代作の約100点の硯はすべて流された。たまたま別の場所に置いてあった硯だけが後日見つかった。


大川小学校。ここから海は見えない。崩れた校舎のあとがなければ、津波が来たとはにわかに信じがたい。


残った壁に、校歌の歌詞が書いてあった。


船がゆく 太平洋の
青い波 寄せてくる波
手をつなぎ 世界の友と
輪をつくれ 大川小学生
はげむわざ 鍛えるからだ
心に太陽 かがやかせ
われらこそ あたらしい
未来を ひらく


仮設店舗で営業している気仙沼市の南町紫市場。この地域のかさ上げ工事はこれから。せっかく再開した店舗も移転を迫られることになる。

 


南三陸町防災対策庁舎。付近は立ち入り禁止になっていた。国道の向かい側から合掌。


陸前高田市、奇跡の一本松。その奥はユースホステルとして使われていた建物。

 


震災のあとを遺構として残すことについては、地元のなかでさまざまな議論があると聞く。


けれども、東日本大震災から5年が経ったいま、東京オリンピックにわく都心部では、東北の被災地のことを思い出す機会は少なくなり、自分たちもいつか自然の脅威にさらされることを忘れがちだ。当事者以外の者にとっては震災遺構を通して、被災者の方の気持ちを推し量ること、これから来る災害に備えることができるのも事実だ。


目にするたびにやりきれない遺族の方もいるかもしれないと思うと、言葉もないのだけれど。


もっとも、震災のあとを伝えるのは、こうした遺構ばかりではない。
車で被災地を回ってみると、あちこちに寸断された鉄道があり、津波浸水区域という標識があり、傾いた道路標識があり、かさ上げ工事の様子が見える。


2日間に渡って何時間もの間、車で移動していたが、その間、途切れることなく震災のあとが目に入ってきた。ふだん私が動きまわっている関東首都圏よりもずっと大きな範囲だ。特定の地域だけでボランティアしていたときには実感しにくかったが、こうして回ってみると、津波に飲まれた範囲がどれだけ大きかったかを知ることができる。


記憶が風化していくのは自然であり、避けられないものだという人もいる。
けれども、少しでも忘れないようにつとめることはできる。経験から学ぶこともできる。
東北で地道に息の長いボランティアをしてきた友人や被災した方自身が、いま熊本で活動していることを私は知っている。

JFCネットワークのクリスマスパーティとワンクリックのお願いm(__)m


12月13日、JFCネットワーク恒例のクリスマスパーティがあり、東京近郊に暮らすJFCとそのお母さんたちが手料理を持って集まりました。


拙著「日本とフィリピンを生きる子どもたち‐ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」を書くことができたのも、JFCネットワークのスタッフとクライアントの皆さんの多大な協力があったからにほかなりません。


皆さんの前で出版のご報告をさせていただいたり、JFCの成長ぶりを感じたり、再会を果たしたお父さんと参加したJFCもいたりと、感慨深いパーティでした。


さて…、ここからはお願いです。
JFCネットワークは、日本とフィリピンに事務所を持ち、日本人とフィリピン人を両親に持つ子どもたち(Japanese-Filipino children=JFC) への法的支援を行っているNPO法人です。JFCが父親からの認知や養育費を得るため、弁護士さんの協力を得ながら活動しています。


事務局では、クライアントの陳述書作成のためのインタビュー、家庭訪問、日本の裁判システムを説明するためのワークショップや裁判中のケース継続意思のモチベーションを維持するための個々のカウンセリング、翻訳作業や通訳など、多大な業務をこなしていますが、運営資金は会費収入が中心で、最低限の必要経費を捻出するのも厳しい状況です。


もし、JFCのことに関心を持っていただけた方がいらっしゃいましたら、JFCネットワークの会員になってもらえるとうれしいのですが、もっと気軽に応援できる方法もあります。


下記のgood doのJFCネットワークページへアクセスして
http://gooddo.jp/gd/group/jfcnet/?from=fbn0
「応援する!」ボタンをクリックしてみてください。
皆さんがクリックするごとにポイントが加算され、無料でJFCネットワークに支援金を送ることができます。クリックは1日1回ずつできます。毎日1クリックの応援、どうぞお願いいたします!

ローマ法皇のフィリピン訪問とストリートチルドレン


昨年末から先月まで、フィリピン国内では、ローマ法王フランシスコの話題で持ちきりだったようだ。ローマ法皇は、1月15日~19日にフィリピンに滞在した。国民の90%がカトリック教徒のフィリピンでは、国をあげてローマ法皇を歓迎した。マニラのリサール公園で行われたミサには、少しでもローマ法皇に近づこうと、800万人の人がつめかけたという。


現ローマ法皇のフランシスコ1世は、もともと庶民からの評価も高いようだ。権威主義的になった教会に対して自己反省を促し、貧困層の支援に意欲を見せている。2013年のイースターの際には、ローマの少年院で、収容者たちの足を自ら洗うなど、その姿勢は行動にも表れている。


このフィリピン滞在中にも、かつて路上生活を送っていた子どもと対面し、微笑む写真が流れた。その姿に多くのフィリピン人が感激したことだろう。しかし、ローマ法皇がもっとも気にかけているといった、最貧層の子どもたちは、彼の目にとまることはなかった。


英紙「デイリー・メール」と、「日刊マニラ新聞」は、ローマ法王のフィリピン滞在にあわせて、マニラ社会福祉省が、100人を超える5歳前後のストリートチルドレンの身柄を拘束し、収容施設に入れたことを報じた。マニラ社会福祉省の責任者は、拘束理由について、「ローマ法皇が貧しい子どもたちに思いを寄せていることから、犯罪集団が子どもたちを利用して、ローマ法皇に接近する可能性があったため」だとコメントしているという。しかし、それだけの理由なら、もっと別の方法があっただろう。子どもたちが収容された施設がいかに劣悪な環境であるかは、前回の投稿「あるフェイスブック投稿が伝えたマニラの児童福祉」に書いたとおりだ。


また同じく、1月15日の朝、マニラ市マラーテ地区では、ストリートファミリーたちが、強制的に社会福祉開発省のバスに乗せられ、19日まで郊外のリゾートホテルに連れて行かれたことが、NGOバハイ・トゥルヤンの報告であきらかになった。社会福祉開発省は、否定しているが、これもローマ法皇から貧困を隠す目的であったと考えられる。なお、連れていかれた先のホテルでは、朝食が終わると研修に強制的に参加させられ、自由に部屋に出入りすることも、敷地の外に出ることもできなかったという。


「最貧困の人に心を寄せる」というローマ法皇に最高の敬意を示し熱狂する国が、一方で最貧困の人々を排除し隠そうとする。信仰とは何か。


この件について、ストリートチルドレンを考える会のメンバーに共有させてもらったところ、共同代表の工藤律子さんのツテで、カトリック中央協議会の方から、ローマ法皇に直接手紙を渡していただけることになった。私は少しフィリピンにいただけで、クリスチャンでもないし、かしこまった文章の書き方も知らない。不躾になるかもしれないが、わずかでもできることはやっておきたいという気持ちから、会の名前で次のようなメッセージを作成した。


フランシスコ ローマ法皇


突然のお手紙で失礼いたします。私たちは途上国のストリートチルドレンについて学び、考える日本のグループです。私たちは、毎年、フィリピンとメキシコのストリートチルドレンのもとを訪ね、交流をしています。メンバーのなかには、現地に長期滞在してボランティアをした者やNGOの職員となって働いた者もいます。


このたび、フィリピンのストリートチルドレンについて残念な知らせを聞き、貴方のお力をお貸し願えないかと思い、お手紙を差し上げることにいたしました。


今年1月15~19日、貴方がフィリピンを訪ねた際、フィリピンじゅうの人が貴方のことを歓迎しました。その一方、英紙のメール・オンラインは、貴方の訪問に先立ち、マニラ首都圏で、5歳くらいの幼いストリートチルドレン数百人が収容施設に入れられたことを報じました。これについて、地区の責任者は、「ローマ法皇が貧しい子どもたちに思いを寄せていることから、犯罪集団が子どもたちを利用して、ローマ法皇に接近する可能性があったため」と説明しています。


しかし、このようなことは今回に限ったことではありません。マニラ首都圏では、子どもたちを無作為に、強制的に車に乗せ、収容施設に監禁するオペレーションが日常的に行われています。これは、私たちと交流のあるNGOバハイ・トゥルヤンが、ストリートチルドレンたちにインタビューした結果、あきらかになったことです。収容施設のなかでは、子どもたちが大人の犯罪者と同じ檻の中に入れられることもあり、子どもたちは、施設のなかで、犯罪者からあるいは施設の職員からの暴力に怯え、過ごしています。食事も衛生的な水も、寝具も衣服も極端に不足しており、家族と連絡をとる術もないといいます。
子どもたちがこのようなひどい扱いを受けるのは、フィリピン政府が、ストリートチルドレンを「守るべき存在」ではなく、「厄介者」と考えているからだと思います。


フィリピンの友人たちは、これまでも何度もフィリピン政府に改善を要求してきました。しかし、また、このようなことが起こってしまいました。
私たちは、貴方が貧しい人たちに心を寄せ、道を誤った人々にも寄り添う、すばらしい方であることを知っています。だからこそ、フィリピンでもっとも貧困に苦しみ、助けを必要としている子どもたちが、貴方から隠されてしまったことが、大変悔しく、残念でならないのです。このようなことがくりかえされることのないよう、キリスト教国であるフィリピンの人々に働きかけてくださいますよう、心からお願いいたします。また、ストリートチルドレンの排除は、ほかの多くの国でも起きていることです。貴方がこれから訪れる国で、貴方の慈愛をもっとも必要としている人たちが、迫害されることのないよう、世界の国々と協力していただけるよう、心からお願いいたします。


2015年2月8日
ストリートチルドレンを考える会


この手紙はスペイン語に翻訳され、来月以降、ローマ法皇の手に届く予定だ。

プロフィール

野口和恵

フリー編集者・ライター。児童書編集にたずさわるかたわら、国内外の子どもを取り巻く問題について取材。

著書に「日本とフィリピンを生きる子どもたちージャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)がある。


もっと詳しく見る

2018年11月
« 4月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
アーカイブ