Archive for 4月, 2018

コロンビアのアフリカ系コミュニティを訪ねて③


トゥマコの中心地からビエント・リブレ地区と反対側へ車で10分ほど進むと広大な海軍の基地が広がる。兵士からパスポートチェックを受けてさらに進んだ先にヌエボ・ミレニオ地区はあった。この地区ではAfro MiTuと呼ばれる若者のHipHopグループが活動している。


トゥマコ訪問の数日前、このグループが『Decimos no a la violencia(私たちは暴力にNoと言う)』という曲を歌っている映像がYouTubeに上がっているのを柴田が見つけた。トゥマコでこうした主張をかかげることはとてつもなく勇気のいることであり、こうした若者たちが出てくることはこれまで考えにくいことだったという。


ソーシャルワーカーのドラさんにAfro MiTuについてたずねたところ、彼らの活動はよく知っているらしかった。ドラさんはさっそくヌエボ・ミレニオ地区の教会のスタッフに電話をしてくれ、その数時間後に私たちは現地を訪ねることになったのだ。
 


ドラさんが電話をかけた相手はドイツ出身のウリさんというシスターだった。指定された場所は色鮮やかな壁画が描かれた建物で、ウリさんはそこで幼児を対象とした教育活動をしていた。この日はクリスマスの行事があったようだ。私たちは20〜30人の幼児でいっぱいの部屋に通してもらい、簡単な自己紹介をした。めずらしいアジア人に子どもたちは興味津々で集まってきて、私もいろいろ話をしてみたかったが間もなく帰宅の時間となった。


子どもたちと入れちがいにAfro MiTuのメンバーがひとり、ふたりとやってきた。集まったメンバー6人のうち3人は大学生でふだんはトゥマコから遠く離れた大学の近くで暮らしているという。トゥマコから大学に進学するケースは非常に稀と聞いていたため驚いた。


Afro MiTuが結成されたのは2年前。きっかけは「ChocQuibTown」という、コロンビアで活動しているHipHopグループがヌエボ・ミレニオ地区を訪れ、ラップのワークショップをおこなったことだった。ChocQuibTownのメンバーもまた北部の太平洋側地域出身でアフリカ系コロンビア人であり、『De donde vengo yo(おれたちはどこから来た?)』というアイデンティティを問う曲を歌っている。そのワークショップに参加したメンバーたちは「銃ではなく言葉で戦うこと」に目覚め、活動を始めたという。歌詞はメンバー同士で話し合いながら考え、太平洋地域の音楽に特長的なマリンバなどの打楽器演奏を取り入れた曲をつくった。私たちが訪ねた当時、Afro MiTuは初のCDを出し、SNSでの告知も始めた直後だった。このタイミングでの日本人の訪問に、年齢よりもずっと落ち着いた雰囲気の若者たちも喜びを隠せないようすだった。


この地域で長く活動しAfro MiTuのことも支えてきたウリさんは、彼らの行動はこの地域の「希望」だと話す。彼らは音楽活動をするだけでなく、地域で清掃活動をしたり平和のデモ行進などを率いたりもする。大学でソーシャルワークを勉強している男性はゲリラグループと政府の和平合意について自分の考えを熱っぽく語った。


暴力、貧困、差別によってさまざまな可能性をふさがれた土地で生きていかねればならないとしたら、私はどうしているだろうか。ビエント・リブレ地区の女性たちはそんな理不尽さへの怒り、あきらめ、悲しみに耐えながら、日々を過ごしていた。Afro MiTuはそんなたくさんのトゥマコの住人たちの気持ちを代弁しているようだ。


この旅の間も、帰国してからもコロンビアでは市民活動家が殺されたというニュースが入ってきた。コロンビアの各地で平和と権利を求め非暴力で活動している人々がいるが、さまざまな理由からそれを邪魔に思っている者たちもいるという。遠い日本から無責任に期待をかけることはできないと思いつつも、ラップを通した若者たちの訴えが広がり、後に続く子どもたちへ道が拓かれることを願う。


※Afro Mituの音楽は下記のアドレスから視聴することができます。

https://youtu.be/OQYblVGmtJY

コロンビアのアフリカ系コミュニティを訪ねて②


トゥマコに滞在して2日目は、カトリック教会の慈善組織「パストラル・ソシアル」が支援している沿岸の地域「ビエントリブレ」を訪ねた。この地域では農村からの移住者や内戦の激しい地域からの避難民が流入し、人口の過密化が進んだ。土地が不足しているため、多くの住民が干潟に家を建てて一日の半分以上を水上で生活している。雨あがりでところどころぬかるんだ道をソーシャルワーカーのドラさんの案内で進んでいくと、10代後半と思われる青年たちが3、4人道ばたで座わりこんでいた。外とはちがうとがった視線を感じて足早に通り過ぎた。


この地区に暮らすマデリンさんは、魚の仲卸業や化粧品の販売をして生計をたてているシングルマザーだ。パストラル・ソシアルがおこなう母親向けのワークショップに参加している。マデリンさんには4人の子どもがいたが、そのうち二人の息子はゲリラが海岸沿いに埋めていた地雷の被害にあった。一人が死亡、もう一人も耳に障害を負い、パストラル・ソシアルの支援を受けながら病院通いをしている。マデリンさんの家にお邪魔していると、20歳前後と思われる青年たちがやってきた。青年たちは私と柴田を不思議そうに見ていたが、ほかのコロンビア人がするのと同じようにあいさつの握手を求めて手を差し出してきたため、私はほっとして握手を返した。青年たちはコピー用紙にたくさんの数字が印刷された紙を広げて何かを説明している。青年たちは地域の役員か何かだろうか? スペイン語がわからない私が隣にいる柴田に「これは何?」と聞くと、柴田は険しい顔で首を振った。マデリンさんの娘はくしゃくしゃになったお金をそっけないそぶりで青年たちに渡した。青年たちはお金を受け取るとすぐに立ち去った。しかし、少しすると戻ってきてさらにお金を要求した。娘は渋い顔でまたお金をさし出した。


後で聞いたところによると、その青年たちは元はゲリラの構成員で現在はビエントリブレに拠点を置く武装組織のメンバーだという。彼らが持っていたのはビンゴカードで、それを各家庭に売りつけて回っているのだった。同じことがこれまでもたびたびあったようだ。ビンゴカードを売った収益は地区の改善に役立てると話しているが、住民たちがその恩恵を受けたことは一度もなく、先ほどの青年たちがドラッグを買うために使っているようだとマデリンさんは話す。しかし、住民たちはそれに抵抗をすることができない。ビエントリブレでは白昼から人が殺される事件が相次いでいるのだ。武装組織に抵抗した者やコミュニティの外に情報をもらしそうな者が目をつけられ、消されていると見られている。


マデリンさんの家の近所に暮らす女性は昨年10月に夫を殺害された。私たちが会ったとき彼女が着ていたTシャツには夫の顔写真と平和を祈るメッセージがプリントされていた。


「それでも、私たちにとってはここが安全なの」とマデリンさんは語る。この地域を出れば、対立する組織に命を狙われる可能性もあるためだ。


路地では5、6歳くらいから10代の少年たちの集団が裸足で鬼ごっこをしていた。人や家の間をどの子も猛スピードですり抜け、走っていく。この鬼ごっこは背中を触られると負けというルールのようだが、どの子も意地でも背中を触らせまいと抵抗するためか、最後は地面に体を投げ出して激しいもみあいになる。それは単なる遊びではなく、この地域で大人になっていく男子の真剣な通過儀礼のようにも見えた。暴力や麻薬がはびこるこの地区にも警察が捜査に来ることがある。そんなとき武装組織をアシストするのは、今鬼ごっこをしているような幼い子どもたちだとういう。警察の姿を見つけると子どもたちはすぐに武装組織へ知らせに走る。そうして少年たちは兄貴分の信頼を得て、その仲間入りしていくのだろう。
(続く)

プロフィール

野口和恵

フリー編集者・ライター。児童書編集にたずさわるかたわら、国内外の子どもを取り巻く問題について取材。

著書に「日本とフィリピンを生きる子どもたちージャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)がある。


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